謝るのなら怒られてから謝ろう やろう 2020年2月29日
どうもうるう年があったおかげで、2月の目標であった合計100km走るを達成できたkeep in touch~「ふれる」を続ける~中嶋孝史です。
ちなみに3月のランニング目標は合計130kmで行こうと思っているので、よろしくお願いします(なにをだよw)
さて今回のテーマは
謝るのなら怒られてから謝ろう やろう
です。
はじめに
昔から学級委員などを積極的にやっていた僕は何かにつけて、大人から良い目で見られるのが好きな大人の目をよく気にする子供でした。
そんなわけで、なにかにつけて怒られそうなことがあると、やらない人間でした。
確実に正解が見えてることをやって、正解していい気持ちになっている私です。
ただ22年生きてきて、正解を求めることの限界に気づきます。
正確にいうと、正解が求められるところに進んでもとっくに正解している人がいっぱいいて、正直いい気持ちにはなれないということを感じています。
正解の道の限界
見かたを変えると、正解の道には正解している人が山ほどいることを知って、そこに自分の欲を満たすものがないということを知りました。
正解の道なんて存在しないということです。
そんなわけで、正解の道をいつまでも探していた私ですが、そろそろ正解か不正解かわからない道に飛び込まないといけないなと気づきます。
さて、ここで私はどうしても臆病なので、ある怖さに気づきます。
正解の道に進めば、傷つく人であったり、困る人がいなかったわけですが、これから私はよく前が見えない道に突っ込んでいきたいと思っているため、もしかしたら困る人が現れるかもしれないということです。
しかしそれをいつまでも恐れていたら前には進めません。
謝るのなら怒られてから謝ろう
というわけで、結論です。
これから私はこれってもしかしたら困る人がいるんじゃというグレーなことにも挑戦していきたいと思います。
もしそれで本当に困る人が現れてしまった場合、全力で止めてください。
私はもとより誰も傷つけたくないですし、ましてや知らずに傷つけてしまうなんて最悪です。
もしこのブログを読んだ人が今の私の危うさに気づいたのであれば迷わず止めてください。
こんなことを書いて、世界征服でも目論んでいるのかと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。
ただ人並みにチャレンジをしてみたいのです。
もしそれが世間的に間違っている道であったとしても、その先を私は見てみたいのです。
改めて、私はチャレンジします。
応援する人、支えてくれる人(実際に行動を起こさなくても、一瞬でもいいので応援したいと思ってくれればこれに該当します。)が増えるようなチャレンジをしていこうと思います。
今後の私を作る「今」の自分にご期待ください。
強い人になってみせます。