出来なくなった自分が出来ることに挑戦できる 2020年3月1日
どうもこんにちはkeep in touch 「ふれる」を続ける 中嶋孝史です。
今日初めての日雇いバイトで、初めての試験監督員をしたのですが、初めの全体連絡で、責任者が「監督員の仕事は、不正行為を発見することではなく、不正行為をさせないように見守りをすることだ」と言われて、一気にやる気がMaxになったちょろい男・中嶋孝史です。
さて、今回のお題は
出来なくなった自分が出来ることに挑戦できる
です。
はじめに
今回のテーマなんだかわかりずらいですよね?
このテーマは前回全くうまく書けなかった
このブログの続きで、今日久しぶりに友人と会って、いろいろ話す時間をもらえたのですが、そこで一個自分なりの「年を取ることのメリット」の答えが出たので、紹介していきたいと思います。
出来なくなることはしょうがない
正直年を取って老いていくことは、しょうがないとして話を続けます。もともと体を動かすことは好きなので、どんどんランニングして老いを遅らせようとはしますが、それでもいつかは老いていくものです。
そこを嘆くこともしょうがないので、一つ考え方を変えます。
今まで出来ていたことが、出来なくなるということは出来る喜びもまた変わってくることだと思います。
もう少し細かく砕くと、ある程度武器を失ったからこそ”挑戦”になることってあると思うのです。
例えば、今の私が100mを20秒で走ったとしても、誰も驚きません。
しかしもし私が80歳・100歳になって100mを20秒で走ったとしたら、誰もが驚くでしょう(80歳・100m20秒が当たり前の時代になんてならないでね頼むから)。
もちろん、今から80歳で100mを20秒で走るためのトレーニングなどしません。
これはあくまでも、出来ないことが増えたときの自分なりの人生の楽しみ方です。
出来なくなった自分が出来ることに挑戦できる
少し早いですが、まとめに入ります。
つまるところ何がいいたいのかというと、どんな環境にあったって挑戦できるならそれでいいじゃないかということです。
実際、今の自分は出来ないことも多いですし、「経験」という武器がありません。この武器がないことは、とても大きくて挑戦するのに勇気が要ります。
ただ、体力と知力があるが経験がない「今」と、経験はあるが体力と知力がない「年を取った後」
結局私は今挑戦をしないと、いつまでも挑戦できないんだなと感じました。
挑戦します。
友人との話で色々目指すべき目標も見えてきました。
もっともっと前に進みます。
我が未来に幸あれ