「運命の人」は存在しない 2020年2月21日
どうも、こんにちは!
30分制限の毎日投稿をはじめて1週間たった中嶋 孝史です(これからちょっと本名でやってみます(本名がわかりやすいニックネームとかつけたいな))。
1週間たってもアクセス数は増えず(来てもらうように設定してないですが)、増えないどころか、アクセス数が最近1日1件という状況に危機感を覚えたため、これから少しずつブログの体系を変えていければいいかなと思っています。
1人でも来てくれることが本当にうれしいので、この1日1件が1日0件にならないように精進していきます。
それでは本日もよろしくお願いいたします。
さて、本日のテーマは
「運命の人」は存在しない
です。
はじめに
まずはテーマに合わせて質問します!
あなたは「運命の人」は存在すると思いますか?
もしかしたらこの記事を読んでいただいてる方の中にはもうすでに、
「運命の人」を見つけた!
という方や、それとも
「運命の人」にまだ出会えていない!
という人もいると思います。
はたまた、私のようにこれまでの人生で一切モテたという経験がなく、そもそも自分には「運命の人」など存在しないという人もいると思います。
さて、今回の議論の目的は、私は全く持ってモテない男なので、運命の人など存在するものか!!!と嘆くものでなく、
そもそもだれであっても「運命の人」など存在しないということです。
「運命の人」とは
そもそも「運命の人」とは、どういった人でしょう?
私のイメージですが、運命の人とは、自然と(神的な何かの力が働いて)結びつかれた、一生を通して暮らしていきたいと思える人であると思います。
ここで大切なのは、自分がその相手のことをそう思うのみではなく、相手も自分のことをそう思ってくれる必要があるということです。
これが偶発的に結びつかれたいわゆる「運命の人」だとします。
ここで問題になるのが、果たして運命の人とは本当に偶発的に出会えるものなのでしょうか?
待ってさえいれば、どんな人でもいつかは運命の人に出会えるものでしょうか?
もう少し詳しく言うと、勝手にいつかは自分が心から一生に暮らしていきたいと考え、相手にも同じように思ってくれる人がいるのでしょうか?
この問いに対する私の考えはNoです。
「運命の人」は存在しない
「運命の人」とは「全ての候補者を排除するため」の幻想であるからです。
ここで大切なのは相手の思考をコントロールすることはできないけど、自分の思考は自分で変更することができるということです。
つまりは実は生きていく中で、私たちはたくさんの人と接します。
その中にもしかすると一生を暮らそうとできる人がいるのですが、私たちは「運命の人」という逃げの言葉を使ってその現実から目そ背けているということです。
つまりは、知らぬ間に人生の主語を「私」から「私たち」に変えることが出来ずにただただその場で足踏みを踏んでいるということです。
もう一個言い方を変えると、「運命の人」は世の中にあふれています。
あとはあなたがどう行動するかです。