中嶋 孝史の日記

毎日30分本気でブログを書きます。どんどん成長する姿をよかったら見ていってください。

人生の最終地点はゴールではなくゴールまでの過程に存在する 2020年2月15日

どうもこんにちは リクヤ37です。

昨日から開始した自分の知識のアウトプットを今日もやっていこうと思います。

またこの記事は、30分という制限を設けて作成したものであって、どこか不十分な部分や不適切な部分もあると思います。

 

是非とも気づいたらコメントにて教えていただければと思います。

 

(この辺の分を定型文的な感じで作成しておきたい( ´∀` ))

 

それでは本日もやっていきましょう。

 

今回のテーマはタイトルにある通り、

 

人生の最終地点はゴールではなくゴールまでの過程に存在する

です。

 

本議論をする前に、前説として話しておきたいことがありまして、まず私は理想論主義者(私が勝手にそう呼んでいるので確かな名称かはわかりません)であります。

 

ゆえに世間一般ではきれいごとだと一蹴されてしまうような全人類が幸せになるべきだと考えています。

 

もちろん私は常に幸せだと感じていますし、私の家族や友人、私に関係する人、私と関りの無い人すべての人が幸せにあってほしいと感じています。

 

さて、今幸せについての話をしましたが、果たして本議論と幸せはどう結びつくのかこれから解説していきます。

 

人生の最終地点と幸せ

 

人がどのようなときに幸せになるかはまた別の機会に話すとして(30分では厳しい)、人生において幸せでない瞬間を作らないための一つの方法として、私は本テーマの「人生の最終地点はゴールではなくゴールまでの過程に存在する」を支持します。

 

具体的には自分の目標があったときにそれを達成できれば幸せで、達成できなかった時は不幸せだとならない方がいいということです。

 

これは私が物心ついたときから思っていたことなのですが、人は基本的に生まれるタイミングも死ぬタイミングも選択できません。

 

私が最初にその事実を知ったときは正直怖くてたまりませんでした。

なぜなら明日死ぬかもしれないし、5秒後に死ぬかもしれないという現実が目の前にあるからです。

 

この時5秒後に死ぬことがなぜ怖いかということを考えました。

その時の私の回答は「自分のやりたいことはたくさんあるし、それができなくなることが悲しいから」でした。

 

そこで私はまた考えます。

果たして、本当に「やりたいことがあるから死にたくない」のか

 

今現在は人間には寿命があり、どんなに健康に生きていてもいつかは死が迎えに来るとされています。

私の考えである「やりたいことがあるから死にたくない」とすれば人が死ぬタイミングが選べない現代でそれはものすごく不幸なことであるのではないでしょうか。

 

この考え方に従うと、突然の病気や交通事故によって亡くなった人はかわいそうだとされるし、同様に寿命によって亡くなった人が100歳を超えていたとしてもそれは不幸だったとされることになります。

 

結局人が生きていると必ず不幸が訪れるという議論になってしまいます。

 

最終地点を過程に見出す

ここで改めてなぜ死ぬことが怖いのか考えます。

そして私は気づきました。

「死ぬことが怖いのは自分がやりたいことを理解せずに、またやりたいことに進んでいないからだ」と。

 

まとめ

ということで、私が小学生ぐらいからずっと頭にある人はなぜ死ぬことが怖いのかという問いについて私なりの考えを示しました。

 

まだまだ30分で書くことになれていないゆえに伝わらない部分も多々あると思いますが、どこか疑問であったりがあればコメントをお願いいたします。

 

これはあくまでも自分の考えや知識のアウトプットでありますが、これが一人でも何かを考えるきっかけになってくれればと思います。

 

それでは最後までご覧いただきありがとうございました。

 

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

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35分かかっちゃった(-_-;)