東日本大震災から9年 支援できない自分の無力さ 2020年3月11日
おはようございます。最近右足のふくらはぎが走り始めると痛くなって本当に今月の目標の1つを達成できなさそうな keep in touch ~「ふれる」を続ける ~ 中嶋孝史です。
今回は文字数も多くなく、書こうと思っているので早速本題に入ります。
今回のテーマは
東日本大震災から9年 支援できない自分の無力さ
です。
はじめに
このブログは2020年3月11日の21時台にあげられると思うので、すでに皆さんは周知のこととは思いますが、あの大震災から9年が経ちます。
現在22歳の僕は当時、中学校1年生でした。もちろん当時のことはとても記憶に残っていて、ちょうど給食を食べ終わって、5限目が始まったばかりの出来事でした。
もちろんその時の教科もしっかり覚えていて、自分が大好きだった数学の授業でした。
急に大きな揺れが一回。
クラスに女子の悲鳴がきゃーーーと響きます。
生徒に机の下に隠れるように指示を出す、数学担当で学年主任の先生。
なんども起こる地震にも関わらず、まったくもって危機感を持たない自分でした。
正直机の下に隠れながら友達と遊んでいたほどに、何もわかっていないバカでした。
そこからしばらくして余震が落ち着いてきて、一斉下校が始まると、いつもと同じはずの通学路が少し違って見えました。
いつも通るスーパーは、棚の商品が落ちてしまって、臨時で閉店になっていました。
家について、自分の机に置いていたノートや教科書などが床に落ちていて、それでもいつも汚い自分の部屋が汚い原因ができたなんて、思ってさえいました。
ただそこから、だんだん事態の深刻さに気付きます。
テレビでは被災地の被害状況がリアルタイムで伝わってきます。
地震によって揺れている放送局の映像や、ここは日本なのかと目を疑ってしまうような津波の映像。
震災から日が経っても、テレビでは行方不明になった人の数や死者の数がどんどん増えて報道されて、のちに計画停電で夜なのに電灯が全く光っていなくて、信号さえも止まっている不便さを知りました。
それでも、自分の生活はほんの少しだけ不便になっただけで、テレビに映る世界はもっともっと大変なのは強く感じていました。
そのなか、僕の大好きな音楽グループのGReeeeNが歯医者として、現場の検死に向かったり、「水を届けるように、僕らは音楽を届ける」として、被災地のために自身の曲をインターネット上で無料配布していました。
自分もこんなことができる大人になりたい と本気で思っていました。
あれから9年…
自分が成人してから2年が経ちました。
自分が困っている人に何かできたかな と振り返ってみると、胸を張ってできたといえるものは一つもありません。
それでも私は9年前に思った「こんな大人になりたい」を無駄にしたくはありません。
こうしてブログを始めたりしている今だからこそ、できることを探すべきだと思いますし、できることをやっていきたいと思います。
改めて「震災から9年」 何もできなかった自分がこの1年間で変わっていけるように
「震災から10年」で自分が変わったと胸を張って言えるようにこれから努力していきたいと思います。
最後に
思い立ったらやらないと気が済まないタイプなので自分が今できることだけやろうと思います。
もうすぐ本日は終わってしまいますが
Yahooでこんな企画をやっています
【Yahoo! JAPAN 3.11企画】#東日本大震災から9年。Yahoo! JAPANで「3.11」と検索された方おひとりにつき10円を、Yahoo! JAPANから復興支援のために寄付いたします。
#311いまわたしができること
どうかこのブログをみて、まだ参加できていない人が参加するきっかけになったらなと思います。