がんばってない人なんかいない 2020年4月20日
おはようございます。パンクにパンクを繰り返して、もうすでにタイヤやチューブなんがないホイールだけの状態で突っ走ってるのではないかと思っているkeep in touch ~「ふれる」を続ける ~ 中嶋孝史です。
さて今日のテーマは
がんばってない人なんかいない
です。
はじめに
私は現在早稲田の大学院に通ってるのですが(正確にはコロナで通ってない)、こういうと私Fランでとか高卒でとか中卒で恥ずかしいって人がたまにいます。これに関して僕がめっちゃ早稲田に自信を持ってて(自分からアピールしに行ってて)、
すごいって言われたい人間であればその言葉がけは適切なのかなと思うのですが、もし本当に自分なんてって思っている人がいるならそこは明確に否定したいなと思います。
これ結構いろんな人が言ってて、学歴が高い人ほど学歴を気にしないとか、成功してる人ほどうんちゃらかんちゃらはざらにあるのでここでは割愛します。
僕が伝えたいのは、そもそも学歴なんて勉強にかけた時間の対価で、おそらく学歴に自信がない人はそのほかのことに時間をかけているのではないかなってことです。
僕は自分にないものを持ってる人(ほぼ全員)を見ると嫉妬して、天才だなってすぐ思ってしまうので、いっつもそっちの世界も素敵だなって思いながら眺めてます。逆になんで恐縮することがあるんだろうなとも…
そこでもう少し掘り下げてみる。
たぶん原因はここ30~40年の社会の流れにあって、やっぱり学歴社会でより社会に役に立つにはより学力が必要な社会になってしまってたんだろうなと思ってます。
ただこれからの未来を見た時に、役に立つものってもう結構そろってて、それこそ役に立つものを作れる人が作って、今後はそれを使いこなせる人が活躍するんじゃないかなって考えています。
ここでいう使いこなせる人とは、使い方を知ってる人ではなく、いかに自分やその身の回りとリンクさせられる人だと思います。またそこで人に見てもらうために魅せる必要があり、この言葉は受け売りですが、どの商売もエンタメ気質になってきて、より人を楽しませた人が儲かる仕組みになってるのかなと思います。
ここで話に戻る。もちろん学歴があって人を楽しませる面白いことができる人はたくさんいるのですが、それでも勉強の時間を楽しむことに特化した人の力ってやっぱあるのかなと思います。
逆に言えば自分はここの能力が著しく欠けているので、今後そういう人たちにいっぱい頼っていかないとなーって思ってます。
そんなわけでその時が来たらよろしくお願いします笑笑
ということで本日も最後までご覧いただきありがとうございます。
また明日も見てね