昨日の自分が憧れる自分に 2020年3月7日
おはようございます(更新しているのが夜なのに、voicyで西野亮廣さんがいつもおはようございますでスタートしているのがかっこよかったのでしばらくまねさせていこうと思います。)、いきなりステーキが近所にあるのですが、もしかしたら閉店するのではないかと思って今日が最後になると思いながら半年ぶりにステーキを堪能してきたkeep in touch ~「ふれる」を続ける ~ 中嶋孝史です。
(どなたかステーキがレアで量が食べれておいしくて、とても安い店を知っていたら教えてください。)
さて、今回のテーマは
昨日の自分が憧れる自分に
です。
はじめに
なんとなくこの話はほかの記事で書いたことがあったような気がしますが、記憶が確かでないので、このまま書かせていただきます。(今後も同じような内容増えちゃうかもしれませんm(__)m)
今回のテーマは本当に自分が昔から考えていたことで、せっかくなので昔なんでそんなことを考えていたのかという経緯から説明させていただこうと思います。
中嶋孝史の幼少期
幼少期といっても小学生中学年くらいの話なのでもしかしたら、幼少期に含まれない可能性がありますが、私は小学生の時に本当に本当に泣き虫な子供で、何かされるとすぐに泣いてしまう子でした。
いつも泣いてばかりいたので、だれかを落として自分を上げたいという子からは、絶好の的で毎日一回は泣いていたような記憶があります。
いまの自分からしたらこれをいじめと呼んでしまうと、もっとひどいものがあるし、自分が気づいていないだけで(心当たりはいくつかあります)、他の子に同じようにからかったりしていたので、いじめられていたとは思えないのですが、当時の自分は間違えなくいじめられていると思っていました。
本気で学校に行きたくないと思った日もありますし、いっそ死んでしまいたいと思い、そのたびに死について真剣に考え、どうしても親が悲しむという一線を越えられずに今日まで生きながらえてきました。
結果的には小学4年生くらいに転校してきた子が、一気に小学生のヒエラルキーの頂点にたって、小学6年生に同じクラスになった段階で仲良くなって、それから自分をからかってくる人もいなくなりましたし、その後いじられて泣いたという記憶はありません。
この小学3年生から5年生までのいじめられていた期間に本気で考えていたことを書いていきたいと思います。
どうやったらいじめがなくなるか
いじめられなくなるための方法を本気で考えていました。まずは自分がヒエラルキーの上に上がろうとしましたが、いじめられると泣いてしまうのでそれもうまくいきません。
かといっていじめられたときに反抗することで怒られるのはもっと嫌だったので、頑張って頑張って耐えていました。
前述したように学校に行かないことや、死も本気で考えました。
それでも正直解決の見通しが立たず、また考えます。そのとき思ったのが、
「なんで大人にはいじめがないんだろう?」です。
今となれば、大人にいじめがないとは思えないのですが、当時の私からみた大人の世界はいじめなんてものとは無関係である意味きらびやかな世界でした。
結果として考えついた先は、大人になれば今の状況から抜け出せるというものでした。
大人になること
ここで希望を1つもちます。大人になればいじめられない自分になれる。今(10歳)はしょうがなくても、10年後には楽しい未来がくると思っていました。
ただ子供の10年は思ったより長くて、大変だなとも同時に思いました。
そして何より本当に自分がそういう大人になれるのか不安で仕方なかったです。
というわけで一つ自分の中に決めごとをしました。
「昨日の自分が憧れる自分に」
と。
私は今でも過去の自分が今の自分をみてどう思うだろうと考えながら生きています。
そしてこれからもあの純粋で感受性豊かであまりに弱かった自分が憧れる自分になろうと努力しています。
これからも努力し続ける自分をよろしくお願いいたします。