「考えること」と「考えないこと」を分ける 2020年3月6日
どうも、久しぶり(ほぼ半年ぶり)にがっつり部屋の掃除をして、とっくの昔に捨てたと思っていたゲームのソフトや(またやろうと思って中古で同じのかってたw)、握手会に行きまくっていた時のアイドルのCDが100枚くらい出てきて、なんだかやるせない気になっているkeep in touch ~「ふれる」を続ける~ 中嶋孝史です。
さて今回のテーマは
「考えること」と「考えないこと」を分ける
です。
はじめに
最近どうしても本を読む時間がなくて、アウトプットするテーマのストックが全くなく、今回も22時を過ぎて、何か書かなきゃと普段から考えていることを無理くりテーマにしました。
というわけで構成も何もないので、結論がどうなるか全くわからない状態で書いています。(割といつもww)最近思うにこれアウトプットというより自分の頭の中を思うままにタイピングしているので、なんか瞑想っぽい方が近いのかなと思っています。
頭の中の情報を外に出すことですっきりするので、このまましばらくはそんな感じで続けていきたいと思います。
「考えること」
まず私の中でどのようなことを考えるべきかというのを示します。
例えば、単純に自分の将来については考えます。
その考えは正確に「いついつになになにをしたらああなるだろう」とかではなく、「自分が生きていくうえでこういうことは大事にしていきたいよね」とか「自分がこういう場面に遭遇したらこうしたいよね」みたいな感じです。
他には以前に下のブログでかいた、「それって本当にそうなの?」っていう内容は間違えなく考えないといけない内容だし、相手に伝えたいことがあるのであればそれも深く考えて自分の中に落とし込む必要があります。
「考えないこと」
では逆に考えないことは何かというと(あくまで自分が意識していることなので決して正解とは思わない)
相手が何を考えているのだろうか
や
相手の人生について
などの自分以外の人に関すること
神や霊の存在的なそもそもの元が見えないもの
などの
そもそも考えても答えが見えないもの
こういったものは基本的に考えないようにしています。
「考えること」と「考えないこと」を分ける
自分の中の「考えること」と「考えないこと」を分けて大きくグルーピングすると、「考えること」は主に自分自身に関することが多いです。逆に「考えないこと」は自分以外についてのことが多いです。
ではなぜ自分以外のことは「考えないこと」なのか?
一見すると他者に興味がないように思われがちですが、そういうことではなくて、他者視点で考えたところで、変えられるのは他者だけなので意味がないのです。
よってまず考えるときはあくまで「自分」を主語にして、そのうえで「自分」が他者に働きかけられるか、「自分」にとっての幸せに働くのかを考えます。
そうすることで考えた結果、行動に動かした方がいい場合は「自分」がすぐに行動に動けます。
というわけで今回は自分はこういう部分は考えて、こんなところは考えないよという感じでした。
ちなみに神や霊などが自分の目の前にいる人にプラスに働いているのであればうれしい、マイナスに働いているのであれば悲しいとだけ思います。。。